映像作家・竹林亮さんにきく、 映画『14歳の栞』と 中学2年生のこと【後編】

ある中学校、2年6組。全員、密着。そんな前例のないドキュメンタリー映画『14歳の栞』が公開されたのは、2021年春のこと。そこに登場するのは、ありのままの 14歳35人の日常と語りの連続。冒頭以外には ナレーションもなく、「主人公キャラ」も登場しません。それにもかかわらず、SNSや口コミでまたたく間に評判は広がり、東京・渋谷の1館のみではじまった上映は全国36都市へと広がりました。

映画のなかの14歳=中学2年生のリアルな姿は、同じ中学2年生にインタビューをしている私たちにとっても新鮮なものでした。そこで、本サイトで公開している中学生たちの語りと写真をより深く味わうための特別企画として、映画『14歳の栞』を監督した竹林亮さんに、中学生との撮影のこと、作品制作と公開にともなう葛藤のこと、中学2年生という時期のこと、あれこれお聞きしました。全3回の連載形式でお届けします。

プロフィール

竹林亮(たけばやし・りょう)

竹林亮(たけばやし・りょう)

映像作家
時代を問わない普遍的なストーリーをもつ、あたたかな映像作品を得意とし、現在はコマーシャル、YouTubeコンテンツ、リモート演劇、映画など、表現は多岐にわたる。
監督・原案・共同脚本を務めた、あさぎーにょ主演のYouTube短編映画『ハロー!ブランニューワールド』(動画名:もう限界。無理。逃げ出したい。)は国内外で5000万回以上再生され、多数受賞。すべての工程をインターネット上のみで仕上げたリモート演劇『Bestfriends .com』はメディア芸術祭の審査員推薦作品に選出された。2021年3月には青春リアリティ映画『14歳の栞』が公開。監督・共同脚本を務めた長編映画『MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない』が2022年10月より全国順次公開中。

いろいろな人の14歳を見ることで、はじめて自分のことも客観的に見られるようになるんじゃないか

ネットに上げられたたくさんの感想をみるだけでも、14歳のリアルな姿と言葉にふれることで多くの人が心を動かされていることが分かります。本サイトも子どもたちの「ありのまま」を発信していますが、子どもたち、とりわけ14歳くらいの「ありのまま」のもっている魅力はどういうものだと思われますか?

いろいろありそうですね。たとえば、30代の自分くらいの年代になると、いまと過去のあいだに線を引いて、「子ども時代の自分」という架空の存在にしてしまっていると思うんです。ただ、それは単純に記憶がないだけなのかなと思っていて。

本当はその頃の自分といまの自分は地続きで、友達との楽しかった瞬間とか、悔しかったこととか、そういうことがいまの自分を形づくっていると思うんです。記憶を(部分的に)なくしているっていうのは、そのままだとあまりにいろいろなことを感じすぎてしまうし、感情を整理しきれないからというところもあると思うんですけど。

不思議なことに、映画のなかのあの子たちのことを応援しながら見ていると、それが自分に返ってくる瞬間があるんです。それが興味深いというか。他人の14歳の姿を見ることで、自分自身も深く肯定できるようになるところがあって。

たしかに、映画で中学2年生たちの姿を見ているうちに、当時はすごく嫌だと感じていた面も含めて、あの頃の自分をまるごと肯定してあげたいと感じました。間違いだらけの自分がすごく嫌でしたが、みんな間違っているところがあるし、それでも大丈夫なんだと思えたりして。

自分のことだと、いろいろな感情が入り乱れてしまうけど、いろいろな人の14歳を見ることで、はじめて自分のことも客観的に見られるようになるんじゃないかと思います。そして、客観的になることで、昔の自分を応援したい気分にもなるのかなと。

さらに、昔の自分を肯定できると、いまの自分も応援できるし、他の人のルーツにも想像が至るようになると感じています。自分自身の経験として、撮影の合間に東京に戻ったタイミングで、道ゆく人たちに対してあの人はどういう中学生だったんだろう?と思いをはせるスイッチが備わってしまったことに気づいたことがあって。

自分とは無関係だと思っている人にも、表面だけでは分からないそれぞれのルーツがあって、そういうものに想像をはたらかせると、変に記号化したりせずにいろいろなとらえ方ができるようになったり、興味を湧かせられたりすると思うんです。

©CHOCOLATE Inc.

©CHOCOLATE Inc.

ちょうど変化の間にある輝いた存在に見えました

前編でなぜ中学2年生だったのかお聞きしましたが、中学2年生という時期に特有の空気感も映画の魅力になっていると感じました。

中学校にずっといると、中1の子はまだ幼ないというか、かわいらしい感じで、中3になるとからだも大きいし、すごいしっかりして見えるんです。そして、中2はちょうど変化の間にある輝いた存在に見えました。一人ひとり見ると、もちろん違いはあるんですけど、全体で見ると中2は、まとっているものが違うなという不思議さがありました。

それは14歳という年齢によるものなのか、中1と中3にはさまれた環境によるものなのか、どう思われますか?

きっと12歳で成人になる民族だったりしたら、11歳がそういう感じになるかもしれないですね。中3って、卒業したら就職もできるし、その先の進路もある程度任されるプレッシャーもあると思うんです。だけど中2だとそういうプレッシャーもまだないし、わりとのほほんと過ごすことができる。だからこそいろいろな感情が生まれるんじゃないかと思います。

いろいろな感情が生まれ、渦巻くというと、まさに思春期というキーワードが思い浮かびます。本サイトのインタビューでも、自分のことを思春期だと話す中学生がときどきいて、思春期を自覚しながら過ごしているようなんです。

当事者からしたらすごい時期ですよね。それまで(親などの大人に)守られていたのに、急に守ってもらえなくなる感覚もあるだろうし。

映画のオープニングを撮るために、動物学者や昆虫学者の方々に「14歳ってどういう年齢ですか?」って聞いていったんですが、「(動物や昆虫には)思春期はない」って言われました(笑)あえて言うなら、育った群れを離れる瞬間だろうけど、思春期は人間独特のものだと。

自分のことを話すことができる場があるって
めちゃくちゃ貴重

映画から離れてしまいますが、本サイト「ありのままの子ども」にもいろいろな場所にいる中学生たちのインタビューを掲載しています。これらをどうご覧になりましたか?

子どもたちが自分のことを語る場を提供し、それを成り立たせていること自体が素晴らしいと思いました。ああいうフォーマットがあることで、子どもも話す理由ができますし。突然、自分と関係のないまったく知らない人から「話きかせてよ」って言われても、絶対に話してくれないじゃないですか(笑)

子どもからしたら怖いですもんね。不審者じゃないかと思われるかもしれない。

お互いに利害関係がなく、正当な理由があって、自分のことを話すことができる場があるってめちゃくちゃ貴重だと感じます。子どもにとっては自分自身の整理にもなるだろうし。すごくフラットに対等な目線で子どもの話を聞いているのも、子どもへのリスペクトを感じるし、こういう場がずっとあったらいいのにと思いました。きちんと録音がされていたり、密室ではないというのもいいなと思いました。

子どもたちが自分自身のことをあらためてふりかえり、それを他者に語っていいと保証されている場はすごく少ないですもんね。

こんなこと言ってもつまらないとか、言うほどのことでもない、って(話すのをやめることが)みんなあるじゃないですか。だけど、こういう場があって人が聞いてくれると、言ってもいいし、考えてもいいんだと思えるし、考えも進みますよね。

本サイトで写話のインタビュアーをするとしたら、写真の話のほかにどんなことを聞いてみたいですか?

うちの息子が14歳なんですが、親に話せることと話せないことについて、根掘り葉掘り聞いてみたいなと思います。撮影をしている間も、自分の子どもとはこんなふうに話せないなと考えていたので、親と話すときに何が話しづらくさせているのか聞き出したいですね。

親だと自分の子に「こうなってほしい」という願望もあるから、どうしても利害関係なくフラットには話せないし、それも話しづらさの原因だろうと思うんです。人によってずいぶん変わるとは思うのですが、やっぱり親と14歳の子どもが腹を割って話すことが難しいという現実はすこし寂しいなと。

完全とはいかなくても、親が子どもの話を聞く役割を担えたら、それってすごくいいと思うんです。だから、親向けの子どもと話すためのTipsがあるといいなと。たぶん親たちもみんな悩んでいるんじゃないかな。

(おわり)

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