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無限の可能性ではなく、有限の特性を信じる

社会学者・古市憲寿さんに聞く

小説家やコメンテーターとしても活躍されている社会学者・古市憲寿さん。テレビなどのメディアでは、冷静かつ鋭い指摘で、ズバズバと様々な問題に斬り込む姿が印象的だ。教育分野についても、幼児教育に関する本質的な提案をしている『保育園義務教育化』(小学館・2015年)や、最近では「とにかく面白い日本史を書いてみたかった」という、『絶対に挫折しない日本史』(新潮新書・2020年)を上梓している。今回は、ご自身の子ども時代のお話から教育全般に関する問題意識についてお話をうかがった。

月曜日は勝手に休んでました

古市さんご自身、どんな子どもだったのか気になるのですが、ちなみに小学生のときはどんな感じだったのですか?

春休みに教科書が来ると一気に全部読んでいました。それが予習で、学校の授業は復習はというやり方にしてましたね。

自分でそんな方法を編み出したのですか?

そうですね。当時はまだ週休2日に完全にはなっていない移行期だったのですが、勉強は週6日朝から晩まで1年間やるのに、教科書はたったこれだけしかないのか、とすごく疑問に思っていました。

今でも勉強ができる子は学校の勉強が物足りなくてつまらないというケースがあるらしいですね。

僕の場合、つまらないというよりも授業が多すぎると感じていました。ほかに選択肢もないので、ふつうに授業は受けていましたけど、小学校中学年くらいのときには月曜日は休みにしてました。

それは勝手に?

勝手に、ですね。年間に50日くらいは休んでいたことになりますね。

先生や親御さんは何も言わなかったのですか?

困っていたはずです。でも勉強は問題なくできていたので、あまり文句も言えなかったのだと思います。

友達をつくるのは大人になってから?

教科の勉強以外で学校がなぜ必要かというと、一つは友達と会う場だということですよね。人と知り合って集団の中で生活していく場所ということでは、これからも学校の意味は変わらないと思います。でも一方で、日本では学校という場が窮屈すぎるとも思います。クラス制でがんじがらめになっている印象が強いのです。昔のような終身雇用制の時代であれば、朝から晩まで同じクラスで同じ子どもたちと一緒にいることで必要なスキルが身につけられたと思いますが、今は転職したり海外に移住したりすることのハードルがかなり下がったわけですから、むしろ多様なコミュニティで上手くやっていくスキルの方が大事になっているのではないでしょうか。

子どもに限らず、人の性格って相手によって変わることも多いですから、あるクラスで自分が浮いた存在になったとしても別のクラスに行けば自分の別の面が出てきて、居心地がよくなることもありますよね。ところで、古市さんはとても交友関係が広くて、人とうまくやっていく能力が高いようにお見受けするのですが、学生時代から人付き合いで何か意識してきたことはあるんですか?

別に特別なことをしてきたわけではないのですが、人と接するのは好きな方ですし、誘いを待つのではなくて、自分から誘うようにはしてますね。でも、子どもの頃は、クラスの子たちと仲が良かったわけではなくて、友達があまりいないタイプでしたね。

そうなんですね。

子どもの頃の狭い社会の中で、共通点があってすごく仲が良くなる人を見つけるのは、実はすごく難しいことだと思います。だから、子どものときに友達がいないことは別に心配する必要はないというのが持論です。大人になって自分の興味嗜好、価値観が確立してから、本当に人と人はつながれるのではないでしょうか。友達をつくるのは大人になってからでいいのではないかと思いますね。

それはなかなか斬新な考え方かもしれないですね。でもたしかに、小中学生で友達ができなかったとしても、「自分はコミュニケーションが下手な人間だ」と思い込んで悩む必要はないということですね。

もちろん、地元のつながりで幸せな生活ができていることは良いことだと思いますけど、子どものときに無理をしてでも友達をつくる必要はないと思います。

最近の教育界では、学力以外の非認知能力に注目が集まっていますが、その辺については、どうお考えですか?

『保育園義務教育化』という本でも書きましたが、僕は乳幼児教育を拡充していくことが、非認知能力を効率よく高めていく最良の方策だと考えています。日本では、個人レベルでも国レベルでも、乳幼児教育ではなくて高等教育にお金をかけてますよね。でも、教育経済学の知見によれば、乳幼児段階での教育効果の方がはるかに大きいことが判明しています。

ご著書でも書かれていたヘックマン教授の調査のことですね。

ただし、非認知能力をまるで教科のように扱うのは違うと思っています。学校教育で学ぶ以前に、乳幼児の段階で多くが体得されてしまうわけですから。それに乳幼児の段階であっても、生まれつきの個性や資質という遺伝的要素も無視はできないですよね。

個人の無限の可能性ではなく、有限の特性を信じる

教育はむしろ、個人の無限の可能性を信じるものではなくて、個人の好きなこと、得意なことという特性を伸ばしてあげる方が大事なのかなと思います。逆に今は、誰もが無限の可能性があって、いつからでも勉強できて、と考えられすぎていて、それが子どもにとって辛いシステムになっているのではないでしょうか。

全員が特定の理想形を目指す必要はないですよね。

子どもの数が減っているので、親としても一人の子どもに色々なことを学ばせたいという気持ちは分かるのですが、いろんな可能性があるはずだと期待すぎじゃないでしょうか。

なるほど。

それよりも「主体性」ということが大事なのではないかと思います。たとえば、以前ノルウェーの保育園を取材して面白いと思ったことがあります。子どもが保育園に着くと、先生はまず「今日は何がしたい?」と聞いて、子どもがしたいことを中心に1日を過ごしているのです。これも、先生の数が多いからできることではあって、日本の保育園の場合は先生の数が少ないので、「みんなでお遊戯をしましょう」とか、どうしても集団行動になってしまいますよね。そうすると指示待ちの子が多くなってしまって、自分から「こうしたい」という志向に慣れることなく成長してしまうことになります。昭和だったら、主体性がなくても兵士のように言われたことを聞く人材が重宝されましたが、今は違いますよね。

これからは、ますます何が正解か分からない時代になっていくと思いますが、少なくとも「自分はこれをやっていたら楽しいな」とか、「夢中になれる」というものがないと辛いですよね。大人としては、それを発見してあげるのが一番なのだろうな、と思います。

そうですよね。たとえば高校や中学でも、大学みたいに生徒の希望に合わせた選択式の授業をもっと増やしてもいいと思います。自分でやりたいことがはっきりしていると、そこから逆算して「じゃあ、英語を勉強しておこう」とか「この科目も必要かな」という風になる。認知科学では内発的動機つけといいますが、動機づけが外部からの押し付けだと人はなかなか本気になれないでしょう。自分から気づいて、これをやらなければと思うと、急にやる気が出てくるものなんですよね。

注:ジェームス・ヘックマン米シカゴ大学教授(2000年ノーベル経済学賞受賞)が行った幼児教育の費用対効果に関する定量調査


古市 憲寿

1985年東京都生まれ。社会学者。
慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。
若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した著書『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)、世界の戦争博物館を巡り戦争と記憶の関係について考察した『誰も戦争を教えてくれなかった』(講談社)などで注目される。
内閣府国家戦略室「フロンティア分科会」部会委員、「経済財政動向等についての集中点検会合」委員、内閣官房行政改革推進本部事務局「国・行政のあり方に関する懇談会」メンバー、「クールジャパン推進会議」委員などを歴任。
小説に『平成くん、さようなら』(文藝春秋)、『アスク・ミー・ホワイ』(マガジンハウス)などがある。

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