やさしさの時代の親子関係 ~前編~
教育者/作家・鳥羽和久さんに聞く

「こども定点2025」の調査結果をもとに、気になるデータや、結果から感じたこと、考えたことについてさまざまな人にお話をうかがい、数字の奥に見える子どもたちの今を深掘りします。今回お話をうかがったのは、福岡県福岡市で学習塾「唐人町寺子屋」を経営するなど、20年以上にわたり子どもたちと向き合ってきた教育者/作家の鳥羽和久さん。前編では、教育現場を通して見えてくる、この20年の親子関係の変容についてお話しいただきました。
自己決定が自己疎外に?
「こども定点2025」の調査結果をご覧いただきましたが、何か気になった項目はありましたか?
一番気になったのは、「いまの自分に自信がある」という項目です。自己肯定のような感覚は、学年が上がるにつれて下がっていますが、一方で「自分のことは自分で決めている」という自己決定の項目は、学年が上がるにつれて増えていますね。
ここから仮定できることは、自己決定自体が、いわゆる子どもの主体性や自立とは、必ずしも結びついていなさそうだということです。自己決定が自信につながるのではなく、逆に自己疎外が起きている可能性さえあるのでは、と思いました。
たしかに、調査結果では「自分のことは自分で決めている」には49.8%が「はい」と答える一方、「いまの自分に自信がある」は26.0%、約4人に1人にとどまります。
今の子どもたちは基本的に、自分で自由に意思決定してよいといわれる環境にいます。でもそれは、自由に選べる=全部あなたの責任だよ、という形になっています。
ただし、決定のための判断材料を子ども自身が握っていることはまれです。実際は、社会的に優先される価値観や大人からの期待を子どもたちが察知して、そこに合わせた形で決定することが多い。それによって「(大人の期待や価値観に照らして)この子はちゃんとしている」という評価になっているんです。
それは結局、自分の欲望と向き合うのではなく、社会的に価値があるとされるものに自分を合わせていくことと同じです。つまり、自分で決めているようでいて、実は外側の価値観をなぞるだけなので、そのせいでかえって自信を失ってしまうのかもしれない。そういう今の子どもたちの状態が、ここから少し見える気がしましたね。

子ども時代にふれる「雑味」
「こども定点」は2023年からおこなっている調査ですが、過去2年と同じく今回の調査結果も、子どもたちと母親との仲の良さがうかがえるものとなりました。家族関係については、ふだん子どもたちと接するなかでどのような印象をお持ちですか。
たしかに、私のまわりの子どもたちも、お母さんとはとても仲が良く、なんでも話すという子が多いですね。一方で、お父さんの意見を参考にするという子は少ないです。参考にするも何も、そもそも会話自体をしていない感じもあります。
ただ、私はそれが必ずしも否定的なこととも思いません。子どもにとって、お父さん、お母さん両方と関係が密すぎるのは大変なことです。どちらの機嫌もうかがわなくてはいけないので、逃げ道がなくなる場合があるからです。育児本などでは、子どもが混乱しないように両親の意見は一致させたほうがいい、と書かれることが多々ありますが、私は両親の意見が一致しすぎるほうが怖いと思っています。
『ちびまる子ちゃん』でたとえると、お母さんがガミガミ言っている横で、お父さんが鼻をほじっていますよね。そのくらいの幅があったほうが、子どもにとっては楽なんです。そこから、自分の成し方のようなものを自分で選ぶことができますから。
お母さんとの親密さとはまた違うお父さんとの関係があって、その両方があることが子どもにもポジティブな影響を与えるということですね。
ただ、最近気になるのは、「頑張りすぎのお父さん」が増えていることです。社会的にはいいことですが、お父さんが頑張りすぎることで、とくに男の子が潰れてしまう例をけっこう見てきました。
父親の言葉というのは圧が強いことが多いので、子どもがその影響を強く受けてしまうことがあります。もちろんすべてではありませんが、父親が熱心に関わろうとするほど、子どもが重く感じてしまう傾向があると思います。そして、その反発は直接父親にではなく、別の形で暴発しやすい。
そもそも親だって、これまでの人生、ときには頑張ったり、ときにはサボったりしながら、バランスを取って生きてきたはず。それなのに、子どもにはそういうサボりのような雑味を認めず、「きちんとやりなさい」と言ってしまう。自分はそういう人間らしさを抱えていながら、どこか自分自身のふがいなさを感じているから、自分をいじめる代わりに、子どもへの当たりを強めてしまうのでしょう。

母性的な面が強まっている
「ふだん接している人」という調査項目では、両親や学校の先生とは90%台と高い割合で接していますが、親せき、学校以外の先生やコーチ、近所の大人といった第三者的な大人となると急に50〜60%と比率が下がります。冊子には掲載できませんでしたが、調査結果の分析過程では、いろいろな人との関わりがある子どもほど、しあわせ度が高いという傾向もみられました。
それは本当にそうだと思います。学校と家庭の環境だけだと、人生のレールが一本しかないと勘違いしてしまうんですね。そのレールから外れてもまったく人生は終わらないのに、その価値観のせいで、命にかかわる問題に発展することもあります。
特に進路の話になると大人たちがいきなりレールを持ち出すことが多いです。親だって学校の先生だって、こんな私でも日々をなんとか生きているという姿自体が子どもにとって最もリアルなはずなのに、「大学に行かないと人生終わり」みたいな直線的でわかりやすい道を示そうとする。そういう意味では、子どもに「雑味」を教えるのが下手な大人が増えたのかもしれません。
大人自身がそういう教育を受けきたから、という背景もありそうですね。親は子どものために何かをしてあげなくては、という価値観や意識も根強いように思います。
結局のところ、社会の趨勢に沿った価値観を自分もきちんと引き受け、それを体現できる大人でなければならない。親である以上、なおさらそうでなければ、という思いがどこかにあるのかもしれませんね。ただし、最近は社会常識や規範というものを強引に押し付けるような親はほとんどいなくなりました。25年前なら、宿題をしていない息子を面談の場で叩くようなお父さんが普通にいたのですが。
規範を重視する父性的なものに対して、いわゆる母性的な面が強まっているということなのでしょう。父性的なものが下がり、私はあなたのことをちゃんと理解してますよ、と示したうえで話に耳を傾ける。お母さんだけではなく、お父さんもそういう応答ができる人が多くなったように思います。

親はメンターになりうる?
「まわりの人との関係性」で見ると、〈よく話をするほうだ〉〈自分のことをよくわかってくれていると思う〉〈困ったことや悩みを相談できる〉の3項目でトップとなっている相手が「お母さん」です。よき理解者であり、悩みも相談できるお母さんは、子どもにとってのメンター的な存在になりつつあります。
今の子どもたちって本当に、びっくりするくらいお父さんお母さんのことが大好きですよね。親孝行をしたいと本気で思っていて、受験で不合格になったりすると「お母さんがかわいそう」と泣いたりする子もいるほどです。
ただ注意しなければいけないのは、子どもに寄り添った母性的な親の態度は、かえって精神的支配と結びつきやすい点です。自分への理解と配慮があるぶん、子どもは反発したり、異を唱えたりすることが難しくなります。そして、自分を大切にしてくれる親を傷つけまいとして、親の期待に応える「いい子」でいようとするのです。親が子どもを守るように、子どもも親を守っている。
支配のしかたも巧妙になっています。たとえば親が子どもの意見を尊重して選ばせる場面。AとBという選択肢は提示するけれど、「AかBどっちがいい?」と言った時点で、無数にあり得る別の選択肢を隠すことになるわけですよね。どちらを選んでも、実は親の欲望のもとで生きることでしかないのに、子どもはちゃんと「選ばせてもらった、だから応えないと」と、思ってしまう。これは一つの例ですが、そういう仕組みがあらゆる場面で出来上がっているような気がします。
親からすると、子どものためを思ってやっていることでしょうし、場合によっては余計に厄介ということがありそうですね。
こうした隠れた支配とコントロールは、むしろ母性的であることを武器にしている感じがありますね。それは、子どもを愛情で囲い込んで、親から見た「安全圏内での自由」だけが承認されるような構造です。よく、最近の子どもに反抗期がないと言われたりしますが、反抗が生まれにくいような設計が現代の子育てには組み込まれているのだと思います。
親が子どもにとってのメンターになっているというのも、考える必要があると思います。そもそも「メンター」という言葉は、古代ギリシャの叙事詩『オデュッセイア』に登場する人物、メントール(Mentor)に由来します。メントールはオデュッセウスの友人で、オデュッセウスの留守のあいだ、その息子テレマコスを見守る立場にありました。作中では、女神アテナもメントールの姿を借りて、テレマコスに助言を与えます。つまり、その語源にあるのは、親ではない第三者が子どもを支え、導くという関係なんですね。
ほとんどの親は、子どものメンターに向いていません。親は、子どもに対して自分が想定する生き方の範囲を超えると、途端に「絶対ダメ」と拒否反応を起こすのがデフォルトですから。その意味では、子どもが普段からいろんな大人、たとえば親が嫌がるようなことをする大人と出会うのは、私はすごく大事だと思っているんです。 それによって、親が提示するAでもBでもない別の選択肢が存在することに気づくことができますから。

人として、子どもと向き合う
お話をうかがっていて、現代の親は、保護者や理解者、助言者など、いろいろな機能を一手に背負わされているところがあるように思いました。
それはたしかにあると思います。かつては、家族という共同体自体が大きかったので、機能が分散されていたところもあります。今は家族の人数が少ないぶん、いろんな役割が親だけに集中しすぎているのでしょう。それによって問題も起こりやすく、親も責任を感じやすい構造になっています。
本来、親以外にもいろいろな大人がいたり、同世代の関係があったりして、子どもはそのなかで自然といろいろな影響を受けながら育っていくものです。子どもが幼いころは、絶対的な保護者として子どもを守るのが親の役割です。しかし、守ろうとする役割だけで接してしまうと、どうしてもコントロールになりやすい。
親が子どものよき理解者であるという関係が理想のように語られることも多いですし、そう努めている親も増えています。ですが、「よき理解者」というのは、ちょっと奢っているし張り切りすぎです。そもそもお互い本気ならば、簡単に理解なんてできるわけがないのに、そういう体にしておきたいんです。だから、「よき理解者」みたいなきれいな大人でいるだけでなく、時には親という役割をいったん傍に置いて、雑味もあるし個人の欲望も持っているひとりの人として関わることも必要なのではないかと思います。

(後編につづく)
鳥羽和久(とば・かずひさ)
教育者、作家。専門は精神分析。大学院在学中の2002年に福岡市唐人町にて学習塾を開業。現在は株式会社寺子屋ネット福岡代表取締役、唐人町寺子屋塾長、及び単位制高校「航空高校唐人町」校長として、150人余りの小中高生の学習指導に携わる。無時間割授業、中学生向けの国語塾・現代川柳会、高校生やフリースクール生向けの哲学対話など、福岡県内の小中高生向けに特色ある授業を開講。著書に『おやときどきこども』(ナナロク社)、『親子の手帖』(鳥影社)、『君は君の人生の主役になれ』(筑摩書房)、『「推し」の文化論』(晶文社)、『光る夏 旅をしても僕はそのまま』(晶文社)、『それがやさしさじゃ困る』(赤々舎)など。新聞、Webメディアなどに連載多数。
